ことば[渡り鳥のつぶやきほか]

作品タイトルからお感じの方もいらっしゃると思いますが、岸田真理子は画家であると同時に言語の領域でも、とても豊かな表現世界を持っています。個展の案内状とともに送られる文章「渡り鳥のつぶやき」や、来展者に向けて個展会場に置かれるメッセージに心を惹かれる方も少なくありません。

こちらのページでは、岸田真理子作品の根源にあるものを何よりも物語るものとなっているそうした文章から、いくつかを選んでご紹介します。

渡り鳥のつぶやき[第118話]

台風が北東へ抜けてゆくという
天気予想図をながめていたら
島へ渡りたくなって
蒸しあがってる街から車を出して
島へ渡りたくなって

島のひとつひとつに名前をつける
花の名でも 樹の名でも 惑星の名でも
島の上の空にも 島を過ぎる風にも

夏のある日の天気予想図が 描きかけて迷ったエスキースみたい
ああ 私・・・
描くんだ ここで 私はここでも絵を描くんだね
きっと描く

2009年9月「岸田真理子の版画と言葉展」の案内状とともに送られたものです。

岸田真理子の世界展IV(倉敷)に寄せて

「プロミスブルー」っていいタイトルだと思う
少し悲しくて  永遠な感じ
美しいって ちょっと悲しい
それに ちょっと悲しくないと 人間はね

切ないひびき
羽ばたくもの達の 命のせつなだ
渡り鳥が 飛来してくる——
必ず 春が やってくる——
“青の約束” “約束の青”、あるいは
“約束の空”か

「降りしきる願いの日」っていうのも たまらない
いつか「降り積もる願いの日」っていう絵も描くんだ。 森の冬空に 暖かいお歌の聞こえてくる そんな絵を 残すんだ
胸は時々 たまらなく苦しくなるのに
ひらひらと はらはらと
身体は 消えそうになるのに 交わした約束が 美しくて——、
それが プロミスブルーだ

‘08 11月 倉敷にて  MARIKO KISHIDA

「プロミスブルー」「降りしきる願いの日」は作品のタイトルです。
2008年11月・倉敷サロン・ド・ヴァンホーでの個展に寄せられたことばです。

渡り鳥のつぶやき[第111話]

お山の暮らしに雨の季節がやってきた。
たくさんの雨が降り続いていても、夜明けには野鳥達の、春の鳴き方とはちがうけたたましい夏向けのさえずりや羽ばたきでたいへんにぎやかだ。
雨の日も風の日も開け放っているアトリエ寝室の大きな窓から竹の香り、楠の香り、夜明けの冷気、霧の香り。
ひんやりとうつらうつらしながら落葉にしみ入る雨音に耳を澄ませていると、私の身体もやがてやわらかく土の上にしみ入ってゆくような、そんな夢の中へ吸い込まれていく。
果樹山に今、たくさん落ちはじめたヤマモモの紅い実が雨に打たれて溶けるようにして土にしみて、山犬に食われたであろう山鳩の羽根の飛び散った上にも雨が降りそそぎ、みんなみんな、何もかも、安心して土に戻ってゆくんだ。
昨日のそういう景色を、遠い日のでき事のように思い出しながら、もう一度夜明けの眠りに落ちている。
親が布団をやさしくたたいて寝かしつけてくれたように、山の中で雨は、親の手のようにいろんな命を寝かしつけるんだ。

2007年6月「岸田真理子銅版画展 地中・地上・天空」の案内状とともに送られたものです。

「祝祭の森」展に寄せて

長く生きているんだから いろんなこと
これまでの時間 人類としては歴史
個人としては愛を やり直せそうな知恵ややる気を
授かってもよさそうなのに 人間が人間であることを
追求してゆく発展は 新しいことを生むのか同じことのくり返しなのか

人間としての何者かに もうならなくてもいいんじゃないか

そう 樹の子供になら 今からだってなれる
200年生きて 700年生きて 1000年根をはって
生きている樹々は 新しくはないが古くもないし
瞬間とか 永遠とかに区別もなくて すべての時間を
知ってるはずで これから人間がどうなってゆくのかも
静かに知っているのかもしれない
そうだな 樹の子供になって 樹々のまわりの
いろんなものと 毎日毎日 生まれてみればいいかもしれないな

2006年4月・大阪The 14th.Moon & MANIFESTO GALLERYでの個展
(“My favorite orchard life”)に寄せられたことばです。

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